犀の角のようにただ独り歩め

「セイジ 〜陸の魚〜」を鑑賞した。
余り期待していた訳では無かったが、色んな見方が出来る作品であった。
舞台である店に集うのは、まるで夢の世界の住人の様な、社会的に隔離されている様な、純粋な者達。


私はどうしても女の目線で観てしまうのだが・・・。
翔子役である裕木奈江さんの、久しぶりの邦画出演と言う事で・・・、
昔、彼女は私の「憧れのお姉さん」だった。
儚げで、孤高で。謎が多く、どこか妖しくて・・・「大人の秘密」の匂いのするお姉さん・・・まだまだ子供だった私は憧れを抱いた。
彼女は稀有な魅力を持った女優さんだと思う。器から溢れ出る程強く、唯一無二の雰囲気を持っている。
本作撮影時の彼女は40歳・・・。
皺なども超えてしまう、巷の綺麗な40代女性とは一線を画する存在感。色んな意味で強く、「突出」した魅力のある人・・・。
(彼女の「突出」は、単身海外で闘っている勇敢さにも表れている。)


翔子の持つ無防備な色気や、翳りに魅せられた旅人(森山未來)に性的な視線を受けるシーン・・・こういう男女の、はらはらと危ういシーンが好き。
「翔子さん若いですよ。・・・綺麗だし。」
「・・・それが本当なら嬉しいわ・・・。」
翔子は周囲の男性を翻弄してしまう、ファムファタール的な魅力を持ち、一見自由に生きている様に見えるが、思いの儘に生きては来なかった。
別れた夫に娘を取られており、悲しんでおり屈折もしており、非常に孤独である。


私自身も、自由に生きている様に思われがちだ。
だけれど、自由と孤独は紙一重だ。
何かに所属する事も、誰かと寄り添う事もどこかで恐れ、
独り歩む事もまだ恐れている私は、本当に自由なのではではないし、格好良くも無い。
以下の様に、迷い無く、誇り高く歩んでいる訳でもない。


もしも汝が「賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者」を得たならば
あらゆる危難に打ち勝ち、こころ喜び、気を落ち着かせてかれとともに歩め
しかしもしも汝が「賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者」を得ないならば
譬えば王が征服した国を捨て去るようにして、犀の角のようにただ独り歩め


ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)
スッタニパータより。厳しい教えである。


これは以前、私に憧れてくれた男性が好きだった言葉。
精神の美しさが随所に滲む、不思議な魅力のある男性だった。
今彼が、悲しみと親しくしていない事を祈る。
私も・・・。
私も、心の奥にこの言葉を携えている。