新しくなり続けるには

ある脳科学者の方が、「よく内面重視と言うが、内面は目に見えない。見た目こそが内面そのもの。」と仰っていた。
言い得て妙…。
そして非常に耳の痛い言葉。
目は心の窓、と言うが、眼という器官がむき出しの内臓という事ならば、これも何一つ誤魔化す事は不可能だろう。


私の親の世代には、「ボロは着てても心の錦」と歌う歌謡曲が存在していたようで、幼い頃、口伝で聴いていた。
彼等、団塊と呼ばれる世代の人達は、高度成長期の時代の運命に翻弄され、思う通りに生きる事が困難な時代背景にあったようだ。
現代の様に着るものに構う様な時代背景に無かったのも一因であるとは思うが、
本当に、粗野なものを身に纏いながら美しい心でいられるのかと言うと、背中を丸めてハッピーな事を考える位に両者矛盾した、相容れない事なのではないかと思う。


私の周りの美しい方、素敵だなぁ、と思う方を見ていると、姿勢と洋服の印象が強い。
姿勢や洋服で人を判断している事が意外に多く、自分もこんな風に判断されているのなら大変・・・、もっと気を付けなければ・・・!、と今更ながら我に返ってしまった次第。


最近私が気を付けて努めている事が2つある。
1つは姿勢を正す事。
もう1つは着るものに気を付けるという事。


以前の私は、自分なりにお洒落をしてきたつもりなのだが、やや一点豪華主義的な所があり、好きなジュエリーには資金を注ぎ込み固執するけれども、洋服には無頓着、という極端なところがあった。
最近読んだ禅に関するエッセイ本にも、「着ているものに心が表れる」、「相手はあなたの着ているものにその心を見ている」云々、無頓着を戒めるような言葉の数々の記述が・・・!。


洋服に関しては、シンプルに纏める事で数年間は安心し、お洒落なショップに足を運ぶ機会も少なくなり、センスも磨かれないままだったと思う。
シンプルなアイテムも、毎年どこかにマイナーチェンジがあって・・・。
毎年洋服を新しくするだけで、思わぬ新しい風が入る・・・。まず人の目に新しいという事は(人は得てして新しいもの・感性が好きな様だ)、自分の印象に対するマナーであるかもしれない(年齢を重ねる毎に、洋服の「新しさ」が必要なのかもしれない)。
この様な基本に、最近身を持って気付いた訳で(苦笑)。


この夏早速、UNITED AROWS で華やかなスカートを、Spick and Spanでとろみ素材のブラックドレスと麻のブラウスとキャメルのカーディガンを大人買い
そしてPCを叩く時用のウェリントンの黒縁眼鏡も新調した。
そして、ものを増やすのは本意ではないので、去年まで穿いていた同系統のスカートとワンピース、ブラウス、カーディガンと、昨日まで掛けていた眼鏡を同じように手放し断捨離・・・。
セレクトショップ巡りに目覚めたのも思わぬ変化で・・・。
自分の進化を信じていようと思う。
新しい風はこの様な処から吹くものかもしれない。