英語

伝えなければならない事が沢山ある。
英語の事なのだが。

決して恐れず、今の自分の力で、うやむやにせず、「伝え切る」事。
自分の考えが伝わらなかった、と思ったら、もう一度違う言葉で伝える。
「伝え切った」という実感が沸かねば、次の言葉を発するべきではない。
相手の言っている事が分からなかったら、分かったフリをせず(分かったフリって絶対相手に伝わる)、
押し切られる事無く(性格的に押し切られてしまう日本人は多いと思う)、分かるまで何度でも聞き返す事。
早口でまくし立てられても慌てず、「こっちはネイティブじゃないんだから、もっとゆっくり話してよ」と強く言うべき(最初これが出来なかった)。
最悪、自分の言いたい事など、I don't know how to explain…とか、
What can i say…の後に単語の羅列でも伝わる。それ程英語はシンプルな言語だ。
必死に伝えようとして、嫌な顔をされた事は1度も無い。

 
移民の多いこの街では、酷い英語の黒人などに道を尋ねられる事もある。
要はどんな英語でも伝わればOkayなのだ。
日本の英語教育は素晴らしいと思う。
というのは、日本の受験英語の王道、shouldやhave toを知らない非ネイティブにまぁまぁの確率で出会うのだ。
これらを知らずによく生きていると思うのだが、彼等はちゃんと逞しく生きている笑。


日本の受験英語、素晴らしい。
だが、経験が無さ過ぎる。
経験を伴わねば明らかにならない事が余りに多過ぎると感じているのだ。
傷付け合った言葉、
抱きしめ合って泣きながら交わした言葉、
あの時、あの感情を抱いてこう言った、
あの時、あのシチュエーションでこう言われた。
感情を伴った言葉にしか宿らないものが多すぎるのだ。


拙い英語でも、表現し切った瞬間に、信念や強さといった「確信」が来る。
その確信無しにはもう生きてはいけない気がしている。
伝える事をごまかしたら自分が終わる。
今行動を共にしているイタリア人の友人とは、生活環境、生きてきた環境は完全なるOppositeだが、
思想が似通っているので1度議論が始まると白熱する。
「金など重要じゃない、愛が全てじゃないか、違うか?」から始まった私達の言葉は、まだ始まったばかりだ。
自分は白熱などしない冷静沈着な日本人なので、意識して白熱させているのだ。
なぜならば、相手を底まで知りたいから。
相手の底に何があるのか、温かいのか、深いのか。怖いけれど、とても怖いけれど、
知りたくて仕方無いのだ。


日本の書店に行けば、恵まれ過ぎという程語学書は溢れている。
私もお世話になったクチだが、所詮他人が書いたもの。
私はそれらを信じない。


今、口を閉じるべきではない。