パニック発作復活

原因は分かっている。
これは、私の中で「やらないことの病」であり、「表現しない事の病」なのだという事を。

感度の高い人間が患う病には違いない。
神経のセンサーが高度でなければ、そして正直でなければ、
周囲の負のエネルギーを感じても、受け流せる訳で。
まぁ、優秀な人間程不安を感じるらしいし、
強い人間は自分の弱さを実に知ることになるのだろうなぁ、という印象である。

でもここ数年(少なくとも5、6年)は症状は落ち着いていた。
もう自分には縁はない、とも思っていた。
イギリス上空で乱気流に巻かれ飛行機がガタガタに揺れた時も、ドイツで大麻吸いながら(ベルリンは合法ですからね)Sexして幻覚見てもBad tripになった時も、ちょっとした事件(全然ちょっとじゃないか)に遭遇した時も、パニックを起こさなかったのに。
本当に好きなことをして、自分を解放して生きている時には、ならないものだ。

言いたい事も言わず、
本当にやりたいこともやらず、自分を抑えていると、なるのだなと思う。必ずおかしくなる。
自分を貫かない生き方、人の顔色を伺う生き方をしていると、こうなる気がする。
我が道を行かなければね。
本当に。狂ってしまう。

今のつまんない仕事(つまんないと言ってしまう)に追われ、キレ味を無くして行く一方で。
きっと今、表情も曇って、魅力も薄れているのだろうな。
女性として輝きを取り戻したい。
出会う人も皆キレキレだった笑、Berlinの感覚を忘れたくないと思う。
輝きを取り戻すぞ。

最近、草間彌生、フジコ・へミングと、立て続けに彼女らの自伝を読んだ。
2人共、日本を出て行き活路を見出した人達だけど、
哲学的表現ではあるが「遠い場所」(精神的・物質的・距離的)にアクセスできる「切符」を、
生まれながらに持っている、という気がした。
それは、お金とかポジティブなエネルギーではない。
逆にネガティブな、絶望の様なもの。
強い絶望を持つからこそ、体験できる光の様なもの。

2人に共通するのは、天才的に自分に正直なところなんですね。
人の理解するレベル・常識で生きていないので、
余りに初々しいエネルギーで生きているので、
勿論人に理解されないし、家族には応援されるどころか逆に疎まれる(とても魅力的なので疎まれてしまう)、その不幸がかえって彼女らの表現のエネルギーになっている。
家族にも疎まれ、誰ひとり味方がいないんだけど、神様だけが見つめていて見守っていて、味方をしている、という感じなのです
(2人共、奇跡としか言えない出来事や出会いが多いのです)。


二人の自伝を読んで、フト「神様が愛する人」という言葉が浮かんだ。

私も、本当に…家族には困惑してしまう位、勝手に疎まれてしまう…。
5日程前、家族と会う機会があり、
相変わらず私に対して「怒り狂っているなぁ」という印象があったのです。
それはもう見ていて可哀想な位、
私を目の前に「怒りに震えている」という感じで
(実像の私はそんなに悪い人間ではないのですが…)。
悲しかったけれど、その時何故か、
あぁ、私は本当に…経験してるし大丈夫、魅力的よ。
と思い、
その家族に対する絶望をエネルギーにして、
もっともっと、独り高貴に、美しく輝かなければいけないと思ったのです。