a lily

つい先日。盛暑盛りの神戸で友人と会った。
待ち合わせの場所に現れた彼女は、女性としては開花前の年齢ながら相変わらず大人びており、同性ながらどきどきしてしまったりする。
また、同じ女性として妹のように心配な存在であったりもする。


地下にある趣味の良い紅茶のお店でお茶をした。
涼を求めた2人が注文したのはアイスチャイ。銅の器に淹れられ運ばれて来たそれはうっすら表面に汗をかいていた。
暫し女子トーク
「色」のある話は楽しい。途上ではあるが彼女も非常に女っぽい色のある「女」なのだ。


美大の院生であり、芸術を志している彼女から教わる事は多い。
彼女の造詣の深さに内心感服しながら、大したレスポンスも出来ない。彼女の、通常ならば目にも留めない事象への眼差しは恐れ入るものがある。
私は、彼女の百合(カサブランカ)を撮影した作品をいたく気に入っており、感想かねがね経緯を拝聴する事が出来た。
一見とても美しい作品なのだけれど、汚れやエロスを感じるのは、花弁の開いた状態の百合が、花粉や蜜を分泌する排泄器官であり、受粉をする生殖器官であるという事で納得できる。
彼女の言葉を借りると「花は性を美に昇華した存在である」と言う。
恐ろしくて美しい。
否。
美しいものは恐ろしさを孕む。
美しいものは安易に人を近寄らせはしないのではないか。
美しいものは残酷な程強い生命の、性のエネルギーを秘め、勢い盛んに咲いている花なのではないか。
生命力。
その強いエネルギーに、人は美しさを感じて慄くのではないか。
強い何かを秘めたるものを恐れるのは人間の常であると思う。
そして荒ぶるものを恐れるのも人間の常であると思う。
そして美しいものは、人々が恐れ慄く事で高貴な存在に上り詰めるのだろうとも思う。


私の思う「美しい」の対義語は、「獰猛」。
美しいと言うのは獰猛さや、男という性の真逆のベクトルである様に思う。
あくまで私の思う事。

この様な根源的とも言えるテーマに取り組む彼女は、やはり非常に美しい。
作品が彼女そのものであるよう。
素人ながらそんな事を思った。