改悛

祈る様な気持ちで票を投じたのだが・・・。
此処は天上ではないと知るからだろうか。
この痛恨さは何?。


先日、「エルグレコ展」を観て来た。

「無原罪のお宿り」。重力からの解放、上昇を感じさせる構図。


「改悛」する聖人の祭壇画が多く、救いを求める人々の様子は、
洋の東西問わず、今この時代を生きている人間の、様々にあがく人のその姿の様にも見え、
美しいと言うより、苦しさを感じた。
泥の中で溺れている様な、何とも息苦しい感覚に陥ってしまった。


エルグレコクレタ島に生まれたが、イタリア、スペインと、一ヶ所に留まらず、転地をした画家で、
人生を通して異邦人であり、移民であった。
エルグレコの足跡を辿る事で、
この所「移り住む事」について、迷い、あがいて居た事に光明が灯され、
人生の「旅を続ける」意味を問い直す事となった。


人間に安住と言うものは無く、
其れならば、何も恐れる事無く、言い訳もせず、ずるずると後を濁す事も無く・・・、
もう、行かなければ行けないのではないか?、と。


私にとって、意外に接点の在る画家だ。
2009年の冬、パリのルーブル美術館で「キリストの磔刑と2人の寄進者」を観た。
初めてのヨーロッパ一人旅に完全に浮かれていた私も、
この画家の作風である独特な縦長のプロポーションに見入り、暫く画の前で佇んだのを覚えている。
そして、私の故郷に在る大原美術館には
日本にあるのが奇跡とも言われる、後期の「受胎告知」が収蔵されている。
私にとっては啓示的と言おうか、
呼ばれているかの様に、節目節目の絶妙な時に私の前に降臨する作家だ。
今の私にも改悛の必要があるのか…。


そして、良書を発見。
最近の私を一番癒し、慰めてくれている、ムンクについての新刊。

「叫び」では無く、「マドンナ」が表紙である。


色彩を楽しむ為に、十分に光射すカフェなどに持ち込むのも良い。
しかし、ムンクの「マドンナ」(リトグラフ版)も大原美術館に収蔵されている。
縁というもの、人だけに在らず。


心は決まった。さあ、行こうか、私。あくまで個人として。
たゆまず。
本当に必要なものだけを問い、この手に残せる様に。